露苔庵

濡れてる訳ではない

タケノコ外交の真実

例年4月の中旬から下旬にかけての2週間が、タケノコ外交のシーズンである。

バラ科の桜の花が散り、二尺伸びたる薔薇の芽に雨がしとどに降った後、一日に二尺は平気で伸びるタケノコがそこら中から頭を覗かせるようになると、スーパーと言わず、何処からともなく、行方知れずの砲弾がドカドカと方々から撃ち寄せて来る。

一体、掘らずに放置しておけば、夏にはそれだけ敷地が竹藪に侵食されてしまう。そんな切羽詰まった事情を抱えた家の人からすれば、これらの収穫物は単に旬の食材というだけでは済まないものだろう。

差し詰めパンダの餌にでもしてやろうかと思わず、小憎たらしさすら抱くのではあるまいか。

さても、今朝も着弾した砲弾は、直径15センチ、高さ40センチ弱の見事な円錐形で、今朝掘られたばかりの新芽であった。

タケノコは果たして日毎に巨大化する。それは、巨大化する直前まで地中にあって、見つけ辛い所為もあるからだが、向けば大概可食部は思いの外、少ないものである。

毎年、田舎から大量に貰っていた家では、それこそ「バクバク」としか形容出来ないほどに、タケノコだけを食らっていたという話であるが、その際には時に味付けとかしないで茹でただけのタケノコに、味噌をつけて食べていたという。

その味噌も自家製のものであったと言うから、とにかく美味しいものであった事だろうが、あんまり食べ過ぎて、食後にはアクで口の周りがチクチクしたーーというが、これは散々に駆逐された竹薮最後の抵抗であろう。

蓋し、竹槍は我らが最終兵器かも知れないが、当の竹薮の最終兵器はこのアクに他ならず、刈られてもなお、鍋でグタグタ煮込まれても、最後の最後まで抗戦の構えを見せるーー、その心意気や全く我らも亀鑑とすべき根性ではあるまいか。

地下茎を延々と伸ばし、着々と侵攻の備えに余念なく、時期が来れば一斉に突如として敵陣奥地まで切り込んでいく、その精神は天晴れ勲章ものと言うべく他ない。そんな殊勲なタケノコ兵達を次々と刈っては、その新鮮なる内に賞味せんというのも、防ぐ側の心意気と言うものである。


所で、血気盛んな竹の尖兵達の、天辺から根元まで染み込んだアクを抜く為には米ヌカが不可欠である。

その事情からこのタケノコ外交シーズンになると、送られて来るタケノコに米ヌカがついているか、否かが俄かに評価の焦点となるのである。

曰く、自分家でヌカ漬けを漬けている家では、家にヌカがあって当たり前だと思っているから、添付しないのだーーという説が最もらしく流布しているが、思うにこれは逆である。

自分の家でヌカを漬けている家では、ヌカは当然必需品である。必需品であればこそ、これを勿体無いと思って、何やらタケノコは惜しくないが、それにオマケする、煮ても焼いても食えない数匁の粉が惜しくなるのである。

又、そうでなくとも、タケノコを食らうのに必要な米ヌカは、今シーズンに限っての全家庭に於ける必需品である。そして、何やらそうした「必需品」とされるものをタダで他人にプレゼントするのを嫌だと感じるのがーー蓋し、人情というものである。


そういう訳で、実の所、タケノコ外交の成否は、この、普段なら殆ど価値がないと言っても過言ではない「米ヌカ」の有無によって決まるものなのである。

兎角儀礼的にも程がある季節の挨拶ではあるが、タケノコ外交の特殊性はこの点に尽きている。

「ヌカなんざ何処の家にもあるだろう」と、思っても気持ち多めに小袋に詰められた米ヌカがちゃんと一緒に新聞紙かビニール袋に包まれているか、いないかーーこれが、(本当に重箱の隅を突く悪意と嫌らしさに満ち満ちているものではあるが)ご近所外交における核心なのである。


なお、そんな風にしてきちんとついて来たヌカと一緒に煮込んですらも、取り切れない程、芯までアクどいタケノコを貰ったとしても、文句を言えないのも、タケノコ外交の醍醐味である。

貰う側許りが有利な条件の貰い物では、外交は果たして外交たり得ない。如何にも立派なタケノコであったとしても、剥いてみて、食ってみていたと初めて分かる、美味・悪味が、この時期限定の細やかで、然し貴重な余興なのである。


(2021/04/11)